みちする

ひと:
安曇川に特産品を!
はなつむぎ
ベリーファーム物語

2023.07.29

毎年初夏になると、滋賀県高島市の〈道の駅 藤樹の里あどがわ〉玄関前では「アドベリー収穫祭」が開催されている。これは高島市の特産品である果物「アドベリー」の摘み取りが始まったことをお祝いするイベントだ。収穫祭では一般客、地元生産者、企業、道の駅スタッフが一緒になって屋台やステージを楽しむ。その盛り上がりの理由は、「アドベリー」が地域にとってかけがえのない大切な農産物だから。この特産品が高島市で生まれるまでの物語、それを紹介する前にまずは「アドベリー」農場の様子からレポート。

生の「アドベリー」を買えるのは、〈あどがわ〉をはじめとする数少ない直売所でだけ。

6月後半の某日、午前5時。空がまだ薄紫色をしている頃、高島市安曇川町の〈はなつむぎベリーファーム〉の前に自動車が集まってきた。「アドベリー」収穫の手伝いにやって来た近隣のみなさんだ。これから20人以上で一斉に、熟した果実を摘み取っていく。
「アドベリー」は濃紺の小さな実が特徴的な、甘酸っぱいきいちごの一種。目標の収穫量は1日200~300キロ。大勢で取り掛かったとしても、1つぶ10グラムほどの小さな実をそれだけ摘むのはかなりの重労働だ。

農場は全11棟のビニルハウスからなる。それぞれに2列ずつ「アドベリー」の樹が植えられている。
作業直前、熟した実の見分け方について細かく指示を伝える梅村さん。

「みなさんには、真っ黒な実だけを積んでくださいと頼んでいます。『アドベリー』ははじめに赤い実をつけ、熟すほど黒くなっていきます。まだ赤い部分を残していると酸っぱくておいしくないんですよ」。
そう教えてくれたのは、農場長の梅村勝久さん。梅村さんは安曇川町内の農家出身だが、不動産・建設業に専念するために農業を引退。それでも〈はなつむぎベリーファーム〉を始めるにあたり、再び畑に立つようになった。

両手で実をもぎとっていく梅村さん。そのスピードは誰よりも素早い。
熟して食べごろの実は手を添えただけで、へたからすっと外れるのだとか。
記者も収穫体験をさせてもらったが、ベテランのみなさんの速さには遠く及ばず…。

それにしても、どうしてこんなに早い時間から作業を?
「最高の状態で出荷するためです。熟した果実は日に当たるとすぐに柔らかくなり、つぶれてしまいます。そうなる前に摘んであげて、パックに詰めなければなりません。太陽が昇りきる前、5時から7時くらいまでが勝負なんです」。

収穫時期は、6月後半のわずか2週間ほど。その2週間で〈はなつむぎベリーファーム〉はビニルハウスに実る、3トン前後の「アドベリー」をすべて確保する。この期間は毎朝があわただしく、気を抜けない。やはり、6月が〈はなつむぎベリーファーム〉の繁忙期なのだろうか?
「いえいえ、とんでもない。収穫は楽しいし忙しいうちに入りません」と言うのは、農場の従業員さんだ。
「本当にたいへんなのはオフシーズンなんです。ベリーのツルはすぐ伸びますから、冬のビニルハウスは足の踏み場もありません。そのツルを全部抜いて、新しい苗を植えられるようにするのがとにかくしんどい。なにせ、ツルは全部で1万本以上あるんですよ。その後で毎年、一から有機肥料で土づくりもします。1年中、なんらかの作業に追われていますね」。

完全に日が昇る前に熟した実を摘まないと、昼には食べられなくなってしまう。

午前7時が近づき、朝日がビニルハウスを照らし始める。まぶしい光が本日の収穫作業のタイムリミットだ。しかし、一日の仕事はまだまだ終わらない。朝に採れた「アドベリー」は近くの選別所に運ばれていく。そこで生のまま出荷できる実と、そうでない実に分けられる。完全に熟していなかったり、少しでも傷ついていたりする実は農場所有の加工場へとまわされ、ジャムやソースなどの原材料に使われるそう。そして、あっという間にまた次の朝が訪れる。

この日収穫された「アドベリー」を運ぶために、軽トラック3台が用意されていた。

〈はなつむぎベリーファーム〉で「アドベリー」に関わる人々の努力を間近で見て、そのおいしさの秘密がわかってきた。栽培から収穫までの過程に妥協がなく、最高の品質を保つための創意工夫が農場の隅々でなされているのだ。ここで改めて、梅村さんに「アドベリー」づくりを始めたきっかけ、やりがいについてお話をうかがった。
「〈道の駅 藤樹の里あどがわ〉と『アドベリー』の始まりはセットになっています。私は高島市の商工会に所属していて、〈あどがわ〉開駅にあたっても地元の方々と話し合いを重ねていたんです。そのときに『道の駅ができるなら、そこで看板になる特産品がないと』という意見が出ました。でも、高島市は農業が盛んなのに、地域を代表するような特産品がなかったんです」。
梅村さんたちが求めていた理想的な特産品は、女性や家族連れに響いて健康にもいいもの。できれば誰もが食べやすいフルーツで。そうやって見つけたのが、日本では希少なニュージーランド発祥のボイセンベリーだった。

「農家さんの努力があったから、『アドベリー』は市内に広まった」と振り返る梅村さん。

高島市は2003年にニュージーランドから苗を輸入し、ベリー栽培を進めていくための生産者協議会を設立。この時点でもう、〈あどがわ〉開駅は2006年の夏だと決まっていた。わずか3年で梅村さんたちはボイセンベリーを新しい特産品として市内に浸透させなければならなかった。
「もう必死でした。農家さんが『ボイセンベリーって何?』って戸惑うのを説得して、つくってもらえるようお願いしました。さらに、ボイセンベリーの苗は厳しい寒さに、果実は雨に弱いことも輸入してから気づいたんです。わからないことはニュージーランドの栽培農家に電話で聞き、みんなで対策を考えました」。
収穫時期が梅雨時なので、防雨のためにビニルハウスを建てるようにした。冬には植えた苗を寒さから守る「苗ドーム(※)」を被せる。さらに、梅村さんたちは除草剤などの農薬を使わず、防草シートを活用した農園の運営も心がけてきた。これらはいずれも安曇川地区でアレンジした、独自の栽培方法だ。梅村さんたちの試行錯誤の末に、ボイセンベリーは安曇川の特産品「アドベリー」として生まれ変わった。
「ニュージーランドのボイセンベリーには追い付けないものの、有機栽培で生でも安心して食べられるし、付加価値は十分あると思います。そういえば、ニュージーランドから技術指導できた大農家さんが苗ドームに感心されていました。帰国したその人に国際便で苗ドームを送りましたよ(笑)」。

(※)積雪や強風から農作物を守るための被覆資材。

ニュージーランドでは収穫期に雨が降らないのでベリー用のビニルハウスはない。安曇川地区での手摘み作業は珍しい光景だ。

道の駅がオープンし、「アドベリー」はまたたく間に人気となった。収穫の時期を外れても、ジャムやパイ、バームクーヘンといった関連商品が観光客に喜ばれている。いまや、「アドベリー」は〈あどがわ〉を飛び出して、ほかの道の駅や直売所にも置かれるようになった。梅村さんが「アドベリー」と関わるようになって20年。「安曇川に特産品をつくりたい」という最初の願いは達成された。ここからは、次の世代にバトンを託すことを視野に入れている。

「うちの農場では市内の小学校や高校での摘み取り体験も受け入れています。高校では『アドベリー』商品の開発もしてもらっていますね。『アドベリー』づくりは人づくり。10年後の農業を担う人材が出てきてくれるよう、若い人たちに経験を伝えていきたいです」。

収穫体験を通じ、若い世代が「アドベリー」に関わる機会は増えていく。

収穫祭では屋台を手伝う学生たちもいた。はつらつと「アドベリー」のおいしさをアピールする若者の姿に、梅村さんの願いが叶いつつあることを実感できた。

収穫祭の屋台には生の「アドベリー」やお菓子、ジュースなどが並ぶ。
特設ステージでは、有志によるフラダンスやコーラスが会場を盛り上げていた。
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