みちする

ひと:
丹波から世界へ
思いやりのなた豆茶

2023.03.15

丹波では、自家農園で採れた作物をアレンジして商品化する生産者さんが少しずつ増えてきているという。
道の駅に商品を置いている、「有限会社こやま園」もそのひとつ。
農業の新しい風に触れたくて、自社の「丹波なた豆茶」を世界に広めているこやま園を訪れた。

こやま園は丹波市内で20年以上も「丹波なた豆茶」を作ってきたメーカー。今回の取材では、代表取締役社長・小山伸洋さんのご子息で営業職を担う、小山海(こやまかい)さんにお話を伺えた。

終始笑顔でインタビューに応じてくださった、小山海さん。

そもそも、「なた豆」とはどんな豆ですか?
「童話『ジャックと豆の木』にも出てくる、長いつるが茂る豆です。豆のさやが大きく、刃物のなた刀に似ていることから“刀(なた)豆”と呼ばれるようになりました。それを焙煎してできるのが、なた豆茶。メーカーによって作り方は違いますが、うちの『丹波なた豆茶』は鞘や豆など、全体を使います」。

左から枝豆、なた豆の鞘、丹波黒豆、なた豆。豆の中でもなた豆はかなり大きく実る。

なた豆茶は口臭予防や血行促進、腎機能の回復などに関心がある人から人気。それらの魅力に加え、こやま園はお茶の味にも強いこだわりを持つ。

「うちでは大学と共同研究し実績のあった種子を自家採種で代々引き継ぎ栽培しており、しっかりと成熟した豆の入ったなた豆だけを厳選してお茶にしているんです。実は、なた豆は一年草なので、あまり数を作れないんですよ。丹波特有の霜に弱いし、大雨、日照りも天敵です。しかも、うちは有機JAS認証の栽培方法で農薬を使っていません。収穫物も悪いところは捨てます。大量生産できないかわりに年季を重ねて少しずつ、今の味を作り上げました。おかげでお客さんにも『おいしい』とご好評をいただいています」

ラージパック(30個入り)。左がカップ用のテトラ型パック、右がポット用の四角いティーバック。
焙煎された豆の香ばしさが鼻腔をくすぐる。こやま園の「丹波なた豆茶」はリラックスできる味。

「年季」という言葉が出た。さかのぼると、社長の伸洋さんがなた豆に力を入れ出したのは2000年のこと。当時の伸洋さんは兼業農家として、丹波市内の畑で野菜を育てていた。その流れで次第に、地域で昔から盛んに栽培されていたなた豆にも改めて興味を持つようになったと、海さんは話す。

海さんの父、小山伸洋さん。丹波で代々続く農家の10代目で、海さんは11代目にあたる。

2001年、ある思いつきが小山家を大きく変える。当時、伸洋さんのご両親は近所で野菜を販売していた。そこで伸洋さんは「観光客が買ってくれるようなユニークな商品をそこに置きたい」と考える。まもなく生まれたのが、小山家お手製の「丹波なた豆茶」。これが観光客から評判になった。

しかし、大きな製造の設備も導入していなかった頃。「丹波なた豆茶」の需要に供給が追いつかない。長いときで、予約は半年待ち。それでも、商品が届けられるとお客さんたちは「ありがとう」と小山家に感謝してくれた。この反響に、一番驚いていたのは伸洋さん自身だったと海さんは振り返る。
「『何がこんなにいいんだろう』と父はよく不思議がっていました(笑)。父の予想以上に、おいしいなた豆茶を求める人は多かったんです。口コミが広がって、ますます商品の予約は増えていきました」。

子供の頃はなた豆を「へんな豆」と思っていた海さんだが、今ではすっかり虜に。

なた豆茶作りに専念することにした伸洋さんは、2006年に有限会社こやま園を設立。契約農家さんを集い、「丹波なた豆茶」の生産量を増やしていく。さらに、2013年からはブランディングデザイナーとして北川一成氏を招聘。北川氏は兵庫県出身のグラフィックデザイナーで、官公庁や世界的ブランドとの仕事も多い。商品のパッケージデザインがスタイリッシュに刷新され、ホテルや百貨店にもこやま園の「丹波なた豆茶」は受け入れられていった。

契約農家のみなさんと伸洋さんの記念撮影。会社設立後、こやま園に関わる人たちはどんどん増えている。

会社が成長を続ける中、海さんがこやま園で働き始めたのは8年前。
「僕は地元の高校を卒業してから大阪の専門学校に通い始めて、丹波を出たんです。でも、結婚するタイミングで『都会で子供を育てるのは厳しいな』と思いました。故郷の丹波でのんびり子育てをしたくなったんです。だから地元に帰ってきて、まずは3年間、父のもとで豆を育てていました」

本腰を入れることになった農業。初めは海さんにとって辛い毎日だった。
「豆栽培って基本は一人の作業なんですよ。僕は人と話すのが好きだったので、とにかく寂しくて、孤独でした。畑では環境の変化が少ないのも苦しかったですし。でも、少しずつ豆が育っていくのを見ていると、働く喜びが生まれてきたんです。そして、3年経ってからは、父にアドバイスを受けながらこやま園の営業を任せてもらえるようになりました。お客さんと交流できるようになり、どんどん仕事が楽しくなっていきました」。

「農業を始めたころ、父の指導は厳しかった。でも、今は感謝しています」。

現在の海さんはなた豆を栽培する一方、営業で全国を飛び回っている。さらに、香港やベトナム、フランスなど、海外での仕事も多い。国内外でお客さんの求めるポイントに違いはあるのだろうか?

「日本では、なた豆茶を健康や美容に取り入れようとする人が多いですよね。海外ではまず無農薬かどうかをクリアしていないと販売できないのですが、フランスなどでは無農薬に加え、ノンカフェインであることも魅力になっています。そうそう、フランスのチーズ屋さんでは、お客さんがテイスティングの途中に、なた豆茶でお口をすっきりさせているんですよ。日本ではあまり、そういう飲み方はされていないと思います。ただ、うちの方からお客さんに合わせて売り方を変えることはありませんね。どの国にも、こやま園の良さをまっすぐ伝えていきたいです」。

ドバイの展示会に参加したときの模様。海さん「海外の方はすごく明るくて驚きました」。

「こやま園の良さ」を一言で表すと?
「お子さんからご年配の方まで、安心してご愛飲いただけるお茶であること。また、九州大学さんと共同研究しながら、なた豆のさまざまな用途を考案しているのも良さですね。たとえば、歯磨きジェルや無添加ガムなどのペット商品を開発してきました。これからもなた豆の素晴らしさを、さまざまな形で伝えていきたいです」。

おばあちゃんの里の商品棚。上段がこやま園さんの商品。お茶だけでなく歯磨きジェルも。

海外進出も果たし、グローバルになた豆茶を広めているこやま園さん。それでもなお、地元の道の駅、おばあちゃんの里に出荷するやりがいは何なのだろう?
「お客さんに直接、商品の魅力を伝えられることです。道の駅に商品の補充に行ったとき、お客さんとおしゃべりすることもあるんです。話を聞いてくれたお客さんが、うちの『丹波なた豆茶』を手に取ってくれたりして。お茶の価値を心から感じて買ってもらえる。その姿を見届けられるのはすごくありがたいです」。

こやま園さんとおばあちゃんの里はご近所さんでもある。道の駅に対する印象を聞いてみると、「県外からのお客さんが多い」という答えが返ってきた。
「年間を通して、土日はいつでも賑わっているなと思います。リニューアルしてからは駐車場も売り場も広くなって、ますます素敵な道の駅になっていますよね」
これからのおばあちゃんの里に望むことはありますか?
「このまま、もっともっと大きくなっていってくれたら。地域を代表する売り場で、『丹波なた豆茶』を多くの方に知ってほしいです」。

商品の補充でおばあちゃんの里に訪れた海さん。このタイミングでお客さんと交流することも多いそう。

最後に、海さんはお客さんとのエピソードを話してくれた。
「お客さんに対応を褒めてもらえることが多いんです。電話でご注文を受ける際も、うちのオペレーターは30分くらいお客さんのお話を聞いたりするので。都会の大企業さんならありえないですよね(笑)」。

以前は「丹波なた豆茶」の試飲イベントもしていた。「コロナが落ち着いたら再開したい」と、意欲を示す海さん。

こやま園さんが大切にしてきたのは、子供たちを慈しむおばあちゃんのような温かさ。そして氷上回廊に集まった古代人たちのように、地域に寄り添って生きる知恵。こうした精神は、おばあちゃんの里にも息づいている。誰かのために創意工夫された作物やおみやげこそ、グローカルな時代でも万国共通の宝物になるのではないか。世界に通じる丹波の魅力がこれからも、道の駅でどんどん発見されていくかもしれない。

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