みちする

ひと:
職人の町に宿る誇り
金物展示即売館

2023.04.13

2023年3月から、みきに常設された巨大なオブジェ「金物鷲」。
金物展示即売館へとつながる階段のそばに、
この像が展示されている意味とは?
道の駅で、「三木金物」を伝える人たちの話を伺った。

金物鷲の翼幅は約5メートルにも及び、3千以上もの金物によって生み出されている。鷲のデザインは時代ごとに変化していて、現在の姿は2016年に完成した4代目。制作にはたいへんな労力がかかり、壮大に羽ばたく姿は三木市内でしか見られない。そんな金物鷲が道の駅に設置されることになったのは、市民が金物に抱く並々ならぬ思い入れのため。

「みき」の建物の正面も翼を広げた金物鷲がモチーフになっている。

「金物鷲は復興の象徴なんです」と大西駅長が教えてくれた。昭和7年、美嚢川(みのうがわ)が氾濫し、三木町(現三木市)を大水害が襲った。災害の悲しみを乗り越えるため、町民たちはアイデアを持ち寄り、強さや不死を司り、世界に飛び立とうとする金物鷲が構想されるように。像を作り上げたのは、町の主要産業だった金物の数々。その勇姿は時代を越えて、町民を鼓舞し続けた。

「金物鷲は地域との連携の証し。大勢の人が道の駅に来てくれて、金物展示館を見てくれたら」と願うのは、照井俊治さん。全三木金物卸商協同組合の事務局長であり、令和3年から金物展示即売館の責任者を務めてきた。ここには市内の卸業者から2千点以上の金物が蒐集されており、三木が「金物の町」と呼ばれる理由を示している。いずれも展示品ながら、気に入った金物は購入もできる。

入口から左手が伝統工芸品コーナーだが、単なる展示物ではなくほとんどの道具が十分に現役。
照井さんは「刃物も大工道具もこんなに取り揃えているところは少なくなっています」としみじみ語る。

平成20年に地域商標登録された「三木金物」の最大の特徴は、使い勝手の良さ。古くから受け継がれてきた技術を活かし、職人が現場で愛用できるような形、性能を製品に込めてきた。代表的な「三木金物」、「手引きノコギリ」は全国シェアの約13%を占めている。それ以外でも、道の駅に並ぶ製品は包丁やナタ、カンナなどの職人道具が大半。

「全国の職人さんがうちに足を運んでくれます。海外のお客さんが来られることもありますね」と照井さんは回想する。過去にはノルウェーやオーストラリア、ニュージーランドなどから職人やコレクターが訪れ、「三木金物」の精巧さに感嘆していたという。

卸業者ごとに棚が分かれており、同じ包丁やノコギリであっても細かくデザインが変わってくる。
切れ味鋭く鉛筆削りに使われてきた小刀「肥後守(ひごのかみ)」もいまや三木市内でしか製造されていない。

展示品の説明になると、照井さんの言葉に熱がこもる。それもそのはずで、照井さんは市内の卸問屋で30年以上も「三木金物」の営業をしてきた、この道の大ベテラン。そんな照井さんは「商品の説明が一番のやりがい」だと語る。

「ここに来る方々は、本当に使える商品を求めていらっしゃる職人さんが多いんです。みなさん、一点一点について、細かい説明を求められます。そのうえで、納得して買ってもらえると心からよかったなと思えます」。

ペン立てやキーホルダーは「三木に来た記念になってくれたら」という思いで生まれたおみやげ。

照井さんは、「スタッフはみんな金物の専門家」だと胸を張った。日常的に刃物や道具を扱う熟練の職人が買い物に来る以上、スタッフにも相応の知識が求められる。
「全員にプロの自覚があります。みんな必死で勉強しているし、お客さんの力になりたいと思って働いています」。

ここまでスタッフが金物展示館に全力を注ぐ背景には、三木市の産業史が関係している。5世紀に百済から亡命してきた韓鍛冶が三木に住み着き、日本の鍛冶職人たちと交流しながら発展させてきたのが金物文化。その技術は、逆境の時代でも日本を支えてきた。明治の産業革命や戦後の復興期などで大量の道具が必要になったとき、三木の職人たちは国のために力を尽くした。
彼らが見せた頑張りは三木市民の誇り。毎年秋には市内で「三木金物」の振興のため、「三木金物まつり」が開かれている。その祭りには例年、週末だけで約16万人もの来場者を動員してきた。それほどまでに、金物は三木市民の精神的な礎となっている。照井さんは「金物展示館の存在自体が道の駅の大きな意義です」と、誇りを持っている。

全国から緑化関係者が集う大分県の全国育樹祭で、三木製品が大きく取り上げられたことも。壁に展示されているのはその複製品。

もうひとつ、「職人仕事の減少」という背景も。照井さんは日々、接客していて感じることを話してくれた。
「機械化が進んで、ベテラン職人さんが昔ながらの工具を買える機会はどんどん減っています。『いつまで道具があるのだろう』とみなさんの不安が大きくなっていると思いますね。他店では工具を買っても、メンテナンスまでしてくれないことがあります。今の時代、旧式の道具を買うのにはかなりの勇気が要るんです」。

その不安を間近で察している照井さんたちは、「できる限りのことをしたい」と考えているという。
「この金物展示館では、メンテナンスまで引き受けられます。それをしっかり案内してあげる。また、説明の段階で我々に答えられることならなんでも答えてあげて、お客さんの不安を取り除いてあげたいんです」。

昔ながらの大工道具は職人の技を引き出し、建築や家具作りなどの繊細な仕事をサポートしてきた。

実際のところ、三木市内で金物を製造しているメーカーは全盛期の3分の1以下に減っている。若い世代の職人は機械を使う。それでも、大西駅長は「金物展示即売館を必要としてくれる人はたくさんいます」と言う。手にしっくりなじむ製品を専門家が説明してくれる場所で、「また買いたい」と思ってくれるお客さんは絶えない。
「たとえば、金物の鉄板や鍋は電化製品より熱するのに時間がかかるので一見、不便ですよね。でも、その分かなりの高温で調理できるし、熱もすぐには逃げません。料理もおいしくできあがります。時代を越えて残るものには理由があるんです」と大西駅長は、三木金物を道の駅で扱う意義について語ってくれた。

レストランの鍛冶屋鍋は愛宕山工業株式会社の製品で、展示即売館にも置かれていた。

伝統が大切に守られていくのは、人々の営みに欠かせないものだから。鍛冶屋鍋を味わってから金物展示即売館に行ったことで、心から納得できた。大きな試練を何度も克服してきた三木の金物文化なら、その信頼性はどれだけ時が経っても揺るがないだろう。まるで、何度も金槌で打たれながら強靭になっていく、熱い鉄のように。

陳列棚にもペーパークラフトの金物鷲を発見。どこかマスコットのような存在感を放っていた。

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