みちする

ひと:
村茶の立役者が思う
幸せな村おこしとは

2023.11.30

〈みなみやましろ村〉を管理する〈株式会社南山城〉。
その社長を務める森本健次さんは、道の駅の中心的存在だ。
7年間にわたり道の駅のコンセプトを構想し、
「村茶」ブランドの名前を広めた功労者。
そんな森本さんの歩んできた道と、
ご自身と〈みなみやましろ村〉の今後の展望について語っていただいた。

「僕はここ南山城村の出身です。高校を出てすぐ村役場に就職し、それから31年間勤めました」。
役場時代から廃校利用などを通して村に人を呼ぼうと、PR活動に精を出してきた森本さん。その大きな転機は2010年に訪れた。
「村長から『地域活性化にもっと力を入れたい。道の駅を作って賑わいを生み出したい』と言われたんです」。
地域文化の拠点となる道の駅を作るのは、たいへんな仕事。不安はなかったのか気になる。
「ありませんでした。道の駅構想を聞いた時点で腹をくくったんですよ。村おこしで結果を出すには本気でやるしかない。道の駅ができるまでの7年間、僕はこの場所のことだけを考えて働きました」。

「役場にいるときも、心はもう道の駅の人間だったんです」と森本さん。

お茶を使ったおみやげを考え、協力してくれる生産者を集い、地域に還元できるビジネスの仕組みを構築する。森本さんがずっと道の駅に集中していたという7年間で、〈みなみやましろ村〉の基盤は固まっていった。その頃の森本さんは経営のノウハウを学ぶため積極的に他の施設の見学に通ったそう。
「高知県の〈株式会社四万十ドラマ〉にうかがって、当時の社長に会ったんです。そのとき、初対面の僕に社長は『役所の人間が来てどうするんだ。道の駅をやりたいなら、モノを作ってくれる農家さんを連れてきなさい』と本質を突かれたのです」。
〈四万十ドラマ〉は一次産業の支援で成功し、道の駅の管理も担ってきた企業。教えを乞うのは一筋縄でいかなかったようだ。
「『本気でやるつもりのある人間にしか経験を教えたくない。お前がやれ。腹をくくれ』と言われたんです。だからその場で『分かりました、村役場は辞めます』と返しました」。

社長はそこまで言い切った森本さんの熱意を認めて、多くの知識を教えてくれた。
「思いのこもった商品をつくり、しっかりデザインを考えて打ち出すという教えが一番響きましたね。〈四万十ドラマ〉は人を呼ぶ商品や仕掛けで高知県の田舎を盛り上げていました。都会からは車で2時間以上かかるような場所なのに。その点、南山城村は京都市内にも大阪市内にも近いし、伊賀市からの観光客も通りがかる。条件は決して悪くない。後はどこまで全力で村おこしをやるかという覚悟だけでした」。

「柱になる商品があればどこにだってお客さんは来てくれる」と森本さんは〈四万十ドラマ〉から学んだ。

そして森本さんは宣言通り、2015年11月に設立した第三セクターの〈株式会社南山城〉社長に就任した。2016年3月には村役場を退職。〈みなみやましろ村〉の開駅はその1年後だった。それから現在に至るまで、役場を離れた森本さんは道の駅の経営だけに集中し数々の成果を上げてきた。
「『村茶』というブランドを立ち上げて、最初はお茶のパウンドケーキを開発しました。やがてプリンがヒットして、ソフトクリームもハイペースで売れ続けています。『村茶』を南山城村の外に広げられているのはうれしいですね」。

プリンをはじめとする「村茶」ブランド品で、〈みなみやましろ村〉は一躍人気の道の駅に。
生活の共同体としての「村」は、森本さんの好きな言葉。だから「村茶」というネーミングにこだわった。

全面的にお茶を押し出している道の駅だからこそ、近隣農家との関係は大切だ。森本さんが生産者との関係で意識しているポイントは?
「『役場の他の職員とは違う』と思ってもらえたことです」との答え。
「お茶を売るなんて簡単な言葉、農家さんは聞き飽きているんですよ。だから行動で示して信頼を勝ち取るしかありませんでした。道の駅ができる前から南山城紅茶や移住などのトピックでメディアが取材にも来てくれたので、村の人たちに『ちょっと違った動きをする職員』と思ってもらえるようになりました。農家さんって基本、農業を知らない人とは話してくれないんです。でも、みんな僕には別の部分を期待していると感じます。農家さんがお茶を育て、僕たちはそれを広める。関わる人たちの中で役割分担ができているのは〈みなみやましろ村〉の長所ですね」。

土日祝日になると農家の人たちが自主的に道の駅でフードトラックや屋台で、朝市やフリマに来てくれるそう。
「他の地域の駅長さんに驚かれましたよ(笑)。『どうしてあの人たちは自分から協力してくれるの』って。広場の草むしりも最初は僕がやっていたんですが、『大変やろ』って、今では農家さんが手伝ってくれています。でも、いきなり頼んでいたら誰もやってくれなかったと思います。まずは責任者の僕がやっている姿を見せる。そのことで、みなさん『助けてやろう』という気になってくれたんじゃないでしょうか」。

ドッグランも兼ねる芝生広場。草むしりには村の人たちの手を借りている。
週末には、玄関前のスペースにフードトラックが停まっていることも多い。

開駅から6年が経ち、森本さんが掲げる次の目標は何ですか?
「スタートダッシュには成功したかなと自負しています。これからは道の駅を成熟させていく段階かなと。そのためには、キャパシティの克服が必須です。販売員を増やすとか、各々がスキルアップを目指すとか、僕たちスタッフのスペックをもっと高めていかなくてはいけません。あとは、観光ツールとして、たとえばお茶の販売戦略道で駅のファンづくりをしっかりと意識していきます」。

平日でも駐車場がいっぱいになるほどの賑わい。スタッフは毎日大忙しだ。

森本さんは道の駅の発展は過疎化する地方への光にもなると考えている。最後に、その点を詳しくうかがった。
「人口減少は特に南山城村では切実な問題です。村の労働人口を増やすことは大切です。しかしまず、どれだけのプレイヤーがいるかよりも、どういうプレイヤーがいるかが肝心。そのうえで、地域のことを考えて必死に動ける人がいれば理想的です。そして、自分たちの強みは何なのかをはっきりさせること。南山城村は茶畑しかないような地域です。それなら、お茶に付加価値をつける。ストーリー性を持たせて宣伝し、家に持ち帰りたくなるようなおみやげにする。地方に価値は必ずあるはずで、外の人にどう気づいてもらうのか。それができて村が潤えば若者が留まってくれるんじゃないかと思っています」。

「お茶は売れない」と言っていた人たちも、今では森本さんや道の駅スタッフの手腕に信頼を寄せている。

「でも、本音を言えば、人の数も大切ですが、村で暮らすみんなの幸せが第一なんです」と森本さんは付け加えた。確かに、目先の利益や人口増加のために、奇抜な挑戦ばかりしていてはローカルの文化を損なうことになりかねない。地域住民の幸せを考え、「お茶」のありのままの良さに向き合ったからこそ、〈みなみやましろ村〉は成功したのだと森本さんの熱意のこもった一言一言で実感できた。

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