みちする

ひと:
市内唯一の酒蔵で
小浜酒造の酒造り

2023.08.23

今年6月24・25日に開催された、イタリア最大の日本酒コンテスト「ミラノ酒チャレンジ2023」。そこで最高評価のプラチナ賞とベストデザイン賞を同時受賞したのが〈株式会社小浜酒造〉の「五芒星」だった。「五芒星」は地元、福井県小浜市産の米を原料にしたやわらかな飲み口の純米大吟醸。その醸造過程は陰陽道の旧暦にならって計画されているそう。月の満ち欠けが反映された旧暦は、日本酒に必要な自然酵母のバイオリズムでもある。それに合わせて職人が仕込みやもろみ搾りなどの工程を進め、繊細な風味の「五芒星」は完成する。
酒造りにここまでのこだわりを持つ〈小浜酒造〉は設立から7年目、大吟醸に着手してからはわずか3年目の会社だ。日本酒業界の新たな注目株、〈小浜酒造〉を深く知りたくて実際に小浜市内の酒蔵を訪ねてきた。

「五芒星」という品名も陰陽道に由来。瓶にも描かれた、魔よけの呪符のこと。

「うちの創業は2017年の4月ですが、実は古いルーツを持つ酒造から事業継承をしています。そういう意味では、江戸時代から続く酒蔵を守っているといえますね」。
そう教えてくれたのは〈小浜酒造〉の吉岡洋一社長。〈小浜酒造〉の前身は、19世紀前半にできた酒蔵をルーツに持つ〈株式会社わかさ富士〉だ。稲作が盛んで白山山系をはじめとする清流にも恵まれた小浜市内で、かつての〈わかさ富士〉はライバルたちとしのぎを削りながら数々の銘酒を生み出してきた。
「でも、日本酒の市場が全国的に縮小してしまい、小浜市の酒蔵も次々に閉鎖していきました。最後に残った〈わかさ富士〉も存続が難しくなってしまったんです。社長は私の親戚だったので、よく相談に乗っていました。そして7年前、私が74歳のときに『小浜市の日本酒を守ろう』と決意し、〈小浜酒造〉を立ち上げて事業継承に踏み切りました」。

他業種の会社経営をしていた吉岡さんにとって、酒造りは分からないことだらけのチャレンジだった。また、〈わかさ富士〉から引き継いだ酒蔵はすっかり古びており、すぐに使えるような状態ではなかった。
「これで酒なんてできるのかと本気で思いましたよ。どこの建設会社もお手上げでなかなかリフォームを引き受けてもらえませんでした。それに、蔵を任せられる杜氏(とうじ:酒造りの責任者のこと)もいない。日本中探しまわって見つけた杜氏に頼みこんでは断られる、その繰り返しです。もう途方に暮れていました」。
前途多難なスタートだったが、吉岡さんの経営者経験がここで役に立った。吉岡さんは自分で工事計画を組み、酒蔵の改修を指揮していった。娘婿である高岡明輝さんが横浜からやって来て、代表取締役に就いてくれたのも大きかったそう。頼れる家族が現場を仕切ってくれたことで、吉岡さんは事業の立て直しに専念できるようになった。やがて蔵の改修が終わり、ベテラン杜氏の招聘にも成功。こうして小浜市唯一の酒造は、ようやく日本酒業界でのリスタートを切った。

蒸した白米を揉んで麹菌を繁殖させる麹室(こうじむろ)。温度を保つために奥の布団で揉み床の上の米をくるむ。
酒母と麹、蒸米、水を混ぜ合わせる「仕込み」のためのタンク。〈小浜酒造〉では温度センサーとカメラで中身を管理。
仕込みでできたもろみを搾るための自動圧搾ろ過機。ここでもろみは酒と酒粕に分けられる。
貯蔵タンクで日本酒はゆっくり熟成していく。品質を保つため、ここでも温度管理が徹底されている。

蔵の改修後、初めて〈小浜酒造〉で日本酒を造ったときのことを吉岡さんは覚えている。
「杜氏さんに蔵まで呼び出されて、『できたから試してみてよ』と言われました。飲んでみると、確かに日本酒になっていた。一言では表現できない感動がありましたね。『おいしい』より『うれしい』より、『本当にできるんだな』という驚きが勝っていました。なんせ、物置みたいになっていた蔵を見てきたわけですから(笑)」。

〈小浜酒造〉の記念すべき商品第一号が「上撰わかさ」。辛口で食中酒にぴったり。

酒造りが始まったとはいえ、会社は予断を許さない状況が続いた。そんな中で、〈小浜酒造〉の希望になったのは海外からの高評価だ。
「『純米吟醸わかさ』が『ルクセンブルク酒チャレンジ2022』の『純米吟醸部門』でプラチナ賞を獲得したんです。それからというもの、ルクセンブルクからたびたび注文が入るようになりました。正直、日本だけで酒を売ることに限界を感じていたのでありがたかったですね。国内での日本酒の需要は減っているうえに、そのほとんどが大手酒造メーカーに占められている。海外に目を向けなければ、我々のような小さな酒蔵は生き残れないのではないでしょうか」。

フルーティーな風味がワイン好きの外国人にも受けたという「純米吟醸わかさ」。

吉岡さんが心がけるのは「エクセレント・カンパニー」であること。「エクセレント・カンパニー」とは、1980年代にアメリカの実業家たちの間で広まった「企業の理想像」だ。そこでは組織の規模や知名度よりも、揺るぎない価値観と行動力が重要視される。
「今すぐうちの生産量は増やせません。設備にも限りがあります。でも、いいものを作り続ける努力ならできる。7年かけてスタートのための投資は終わりました。これからはさらに質の高い日本酒を生み出していきたい」。
小浜市の酒造り文化を復興させようとする、吉岡さんの挑戦心は尽きない。

最後に、吉岡さんは現在の仕事への感慨を語ってくれた。
「僕の父も酒造の経営者だったんです。でも、若い頃の僕は興味が持てなくて父に反抗し、家業を継がなかった。以来50年間、僕は日本酒の勉強をまったくしてきませんでした。それが今では酒造りにものすごく没頭している。人生は不思議だってつくづく思いますね」。

80歳を超えてもなお酒蔵見学に来た観光客のガイドを自ら務めるなど、精力的に活動している吉岡さん。

50年越しに足を踏み入れた日本酒の世界で、これまでの経験を糧にして新しい市場を切り開いていく吉岡さん。50年は遠回りではなく、酒造りのために必要な「熟成」の時間だったのかもしれない。

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