みちする

4年ぶりの通常開催!「三木金物まつり2023」レポート

2023.11.24 OTHER

「金物のまち」と呼ばれる兵庫県三木市。年に一度開催される「三木金物まつり(主催:三木金物まつり実行委員会)」は、三木市を代表するお祭りのひとつだ。今年の11月4日(土)と5日(日)の二日間にわたって開催された、この三木市の一大イベントを訪れた。

「三木金物」の起源は5世紀の中ごろ。鍛冶職人たちが大陸から渡来しこの地の人たちに技術を伝えたのが始まりだ。その後、1,500年近くにわたり三木では金物文化が発展していく。現在の三木市内では主に、のみ、鋸(のこ)、かんななどの利器工匠具・手道具や機械工具が作られており、特に、手引きのこぎりの全国シェアは20パーセントを超える。精巧で機能的な「三木金物」を求めて、近畿エリアの外からも三木市を訪ねる職人たちは多い。
そんな「三木金物」を称える「三木金物まつり」は、見本市として1952年にスタート。それ以来、年々規模を拡大させていき、今では二日間で最大約12万人を動員するほどの大がかりなお祭りになった。

今年のメイン会場は〈三木山総合公園〉。ここに市内の金物メーカーや飲食店、農業関係者が約100件のブースを出展した。

子供たちに「三木金物」の良さを伝えるご当地ヒーロー「かなもんジャー」参上!
金物工具を使う「木工体験コーナー」はファミリー層に人気。
昔ながらの砥石による「包丁研ぎ」コーナー。

メイン会場では屋台フードも充実。

地元養鶏場の卵を使った〈レストランにしき亭〉の「よかたん温泉卵ラーメン」。醤油スープと甘い温泉卵の組み合わせが絶妙。
兵庫県産の新米を使った、喫茶店「葵庵」の手づくりおにぎり。外で食べるとおいしさ倍増!

メイン会場のそばにある〈総合体育館〉では〈三木金物展示直売会〉が催されていた。

ここに並んでいたのは50以上の金物展示のブースだ。園芸や建築の作業用工具、調理用具など、地元メーカーによる専門職向けアイテムが中心。職人らしきお客さんたちが、熱心にスタッフに質問したり、道具を手に取って感触を確かめたりしていた。

〈総合体育館〉中央で来場者の注目を集めていたのは巨大オブジェ「金物鷲」。その全身は「三木金物」の数々でできている。三木の金物職人たちの高い技術力が結集した神々しい姿に、来場者は息をのんだ。

「金物鷲」の翼長は5メートル、重量は1.5トン。体に使われた金物の数は約3,300点にも及ぶ。

「金物鷲」の始まりは1932年にまでさかのぼる。その年、三木町(現三木市)は大きな水害に見舞われ、金物の工場は大打撃を受けた。活力を失いかけた三木町で、逆境から復興し世界に飛び立とうという思いを込めて、「金物鷲」が構想された。そして、1952年に卸組合、兵庫県工業技術センターの技術者たちの手により、初代「金物鷲」が完成。
それからも、「金物鷲」は三木市の象徴として、デザインに改良を加えながら繰り返し製作されていく。今年の「三木金物まつり」に登場した「金物鷲」は四代目のもの。いまや、「金物鷲」は「三木金物まつり」の目玉のひとつだ。

安全面を考慮し、お祭りの「金物鷲」が形を保てるのは3~4日程度。一般客が目にできるのは貴重な機会だ。

〈道の駅みき〉も会場の一部となり、「三木金物」の良さをPR。2階の〈金物展示即売館〉では、お祭りの開催中「10パーセントOFF」セールを実施した。

〈金物展示即売館〉には市内の60以上の卸業者から2万点以上の「三木金物」が集められている。
〈道の駅 みき〉の1階には「金物鷲」が常設されている。資料展示とともに、お客さんに「三木金物」の歴史を伝えている。

金物だけでなく、三木市の農業の豊かさを知ることができるのも「三木金物まつり」の醍醐味。〈みき〉に隣接する多目的展示ホール〈かじやの里 メッセみき〉では、「北播磨農と食の祭典」と「山田錦振興プロジェクト」を協同開催。三木市の特産品である酒米「山田錦」で醸した17の酒蔵の高級酒が並び、北播磨の特産品もずらり。

・昭和63年に年間生産量が3,000トンを超えた三木市は、それ以来、日本一の「山田錦」の産地であり続けている。
「山田錦」のバウムクーヘンや米粉パンなどのブースも出展。
「山田錦」の藁によるしめ縄づくり教室。収穫後の藁には神の加護が宿っているとされ、正月や神事の飾りに使われてきた。
特設ステージでは、日本酒をテーマにした音楽ライブや漫才などが繰り広げられた。

会場の盛りあがりを見ていると忘れそうになってしまうが、新型コロナウイルスの感染が拡大した2020年から2022年まで、「三木金物まつり」は中止や制限付き開催を強いられてきた。久々の通常開催である今回、金物の良さを伝えようと来場者たちに積極的に話しかけるメーカーの方々の大変な熱量が、とても印象的だった。
「三木金物まつり」実行委員会の津村慎吾委員長にお聞きした。
「私もメーカーを経営しているから実感があるのですが、金物づくりは工場にずっとこもって行う作業。外に出て、ユーザー様と話をすることがあまりないんです。このお祭りは、ユーザーである多くの職人さんから製品の感想を聞ける大変貴重な機会なんです。ましてや今回は、4年ぶりの通常開催。私たちにとって、このお祭りの完全復活は大きな喜びなんですよ。そんな場所をこれからもずっと残していきたいと、お祭りに関わるすべてのメーカーや関係者は、真に強く願っているんです。だから全員、真剣にお客様と向き合います。」
また、『三木市農業祭』と『山田錦振興プロジェクト』を担う、三木市農業祭実行委員会の與倉秀顕(よくらひであき)さんにもお話をうかがった。
「コロナ禍では日本酒の試飲ができないなどの制限がありました。今年から本来の形態に戻り、金物と同時に、存分に「山田錦」などの三木の自慢の農産物をお客さんに知ってもらえるようになったのが本当にうれしいです」。

「三木金物まつり」のお客さんの多くはプロの職人。道具を選ぶ厳しい目に晒されることで、出展メーカーは成長してきた。

コロナ禍でも三木市の金物メーカーや農家さんたちは心折れることなく、この日を待ちながら、日々の仕事に打ち込み続けた。その信念が今年、通常開催による「三木金物まつり」を復活させた。地域産業の担い手たちのたくましさに、三木の歴史が重なる。戦国時代に豊臣秀吉が三木の街や寺を焼き払ったとき、大勢の鍛冶職人たちが大工道具を作り、復興を支えた。第二次世界大戦後、荒廃した日本全土の再生事業の現場においても、三木産の道工具は大きく貢献した。現代の「三木金物まつり」の活気は、逆境に負けず強く生きる三木の人たちの姿そのものだった。

新着情報一覧にもどる

ページトップへ