ひと:
道の駅で働いて
地元の魅力を再発見
2023.02.22
道の駅あわじを運営する、株式会社淡路観光開発公社。
そこには淡路島出身の職員のみなさんが数多く在籍している。
地元のために働こうと思った理由は何だろう。
営業推進部で店舗の運営から宣伝活動まで、幅広く活躍する鶴谷直紀さんにお話を伺った。
やはり地元が好きで道の駅で働こうと思われたのですか?
「いえ、昔は淡路島が嫌で仕方ありませんでした。大学までは早く出ていこうとしか思っていませんでした」
いきなり衝撃の告白が。淡路島の生まれで、外で暮らしたことがないという鶴谷さん。大学時代も淡路島から神戸にバス通学していたという。
9年前、就職活動を開始した鶴谷さんは「絶対に大阪や神戸の都会で働く」と自分に誓っていた。ところが―
「3社から内定をもらったのですが、周りに流されている自分に気づきました。『みんなそうだから』と深く考えず、思い入れのない仕事に就こうとしていた。そんな状況が疑問になったんです。だから、その時点での内定は全部お断りしました」
そして就職活動を一からやり直し、鶴谷さんは知人の伝手で淡路観光開発公社にたどり着く。なぜこの会社で働きたいと?
「面接で社長に言われたんです。『将来は道の駅の中心になって、一緒にまわしていこう』って。それまでの企業と違って、ここでしかできない重要な仕事を任せてもらえると思い、『やってやろう』という気持ちになれました」
こうして鶴谷さんは道の駅あわじの一員に。やる気のある新社会人ほど入社後は期待とのギャップに苦しむというが、鶴谷さんは例外だったよう。
「そもそも道の駅というものに詳しくなかったんですよ。固定概念がないぶん、どんな仕事もすんなり受け入れられました。ただ、新人研修のときに加工場で、タコのはらわたをとったのはトラウマになりましたね(笑)。でも、抵抗があったのはそれくらい。ずっと、いろんな体験ができて楽しい仕事だと思えています」
具体的にはどんな体験ですか?
「商品開発は大きなやりがいです。8年前に作った『たまねぎスープ』はパッケージデザインまで関わったので、とても思い入れがあります。当時の僕はおみやげ売り場の店長もしていたのですが。自分で作った商品を自分で売り、レジまで打っているなんて特殊な仕事ですよね。たまねぎスープは企画段階から社長に『これが売れたら君の成果だからね』と言ってもらえていました。おかげさまでロングセラーになり、とても嬉しいです。自分の仕事に対して、お客さんのレスポンスが見えやすいのは道の駅で働く楽しさですね」
道の駅で働くうち、鶴谷さんに心境の変化が訪れる。「早く出ていきたかった」地元について、違う見方ができるようになった。
「僕は淡路島の悪いところばかり見ていたんだなと気づきました。道の駅の仕事を通して、良い部分もたくさん分かってきたんです。たとえば、風景だったり、人の温かさだったり、食材の豊かさだったり」
経験を重ねた鶴谷さんは、「不便」だと思っていた島のライフスタイルも考え直していく。
「若手時代と比べて、生産者さんとの付き合い方も変わりました。前はもっとビジネスライクで『安い相手から仕入れればいいじゃないか』と思っていました。でも、今では漁港や農家、地域に貢献しながら商いするべきだと感じています。道の駅だけでは何もできない。新しいアイデアも昔ながらの地元の良さも、人の支えがないと提供できません。周りのみなさんの協力があるから道の駅は成り立っているんです」
生まれ育った場所の良さを再発見した鶴谷さん。今後、道の駅で実現させたいことは?
「イベントにもっと力を入れたいですね。たとえば、公園を使ってフリーマーケットをするとか。それに、お祭りを自分たちで開催したいんです。毎年、同じ時期になったら島の外からもお客さんがたくさん来てくれるような、大きなお祭りを」
最後に、鶴谷さんは淡路島で観光業に携わる思いを語ってくれた。
「淡路島にも大きな企業が進出してきて、さまざまな施設ができました。その状況は、島全体のことを考えればプラスに働くと思うんです。でも、僕個人は淡路島そのものに魅力を感じてやってくる人たちのために頑張っていきたい。道の駅が目的地になって、島を引っ張っていく存在になりたい。大企業と同じ土俵で勝負をせず、この場所にしかないイベントやメニューを押し出していきたいです」
道の駅あわじには観光客からも地元民からも愛される、風通しの良さがある。それは鶴谷さんたちが地場の持ち味を見失わず、守り続けている証し。そうした鶴谷さんたちの揺るがない信念は、明石海峡大橋を毅然として支えるアンカレイジにも似ている。淡路島の魅力を追求し続ける道の駅あわじの土台には、スタッフのみなさんの強い地元愛があった。